漱石全集の装幀、しおりがわりの葉書
2020年06月17日

漱石全集の装丁の意匠は、現在出版されている岩波全集まで踏襲されていますが、実は、漱石自身によるものだそうです。そのあたりの事情が、国立国会図書館のデータベースに記録されています。 レファレンス協同データベース
「装幀の事は今迄専門家にばかり依頼していたのだが、今度はふとした動機から自分で遣って見る気になって、箱、表紙、見返し、扉及び奥付の模様および題字、朱印、検印ともに、悉くじぶんで考案して自分で描いた」(『心』の序文)
表紙は、中国周代の石鼓文(せっこぶん)の拓本を地紋とし、『康煕(こうき)字典』の「心」の項を貼付するという、東洋趣味のにじむ味わい深いデザイン。(文豪の装丁より)
漢籍由来の表紙だったのですね。もちろん、私にはほとんど解読できません。ちなみに、新潮文庫のカバーは画家の津田青楓によるもので、「色鳥」という作品を使っています。
津田青楓も漱石や弟子たちとの親交が深く、また日本の近代絵画の歴史で大きな存在です。現在の新潮文庫のカバー画は、安野光雅の作品に変わっています。(余談でした)
漱石とも作品とも関係のないことですが、324ページに葉書が1枚はさんでありました。
朝日新聞大阪本社出版局宛の「購読者芳名票」です。左側には、「アサヒカメラ講座6 カメラと撮影の基礎」とあります。
この葉書は、義父が栞(しおり)がわりに使っていたのだと思われますが、これをみて、義父はカメラが趣味だったことを思い出しました。
カメラという趣味に関しては、極端にいうと「カメラ好き」と、「撮影好き」と、2つの要素があるようですが、義父は「カメラ好き」だったのだと思います。奥様によると、義父は日曜日になると、書斎のテーブルにカメラを並べ、ブロワーと専用クロスを手にして、順番に磨きあげながら、ときおりシャッターを切って、その音と感触を楽しんでいたそうです。
実は、義父のカメラやレンズも形見としていただいているのですが、なかなか手に取ることはありません。おそらくカメラ本体が10台ほど、レンズなども数本、乾燥剤とともにハードケースに収めて押入れの奥に眠っています。いうまでもなくフィルム時代のものですから、これから先も、これらを手にして被写体に向けることはないのでしょうけれど、、、
1台だけ、アルミケースに収容できなくて飾り戸棚に置いてあるのが上のスウェーデン製のカメラです。
正方形の写真が撮れる中判カメラです。これだけは、15年ほど前にヨドバシカメラでフィルムを買い、一度だけ撮影に挑戦したことがあります。でも、いろいろな意味で、重量感がありすぎて、現像するのをやめました。