あれから半世紀だそうです、、、

2020年11月25日
書棚の整理

  11月25日は、三島由紀夫の死から50年です。ということで、無理やりの「書棚の整理」ネタです。

 50年前のこの日、小学校の帰りのホームルームのときに、先生が「東京でなんかクーデター事件みたいなことが起きたので、寄り道しないで家に帰りなさい」と話しました。もちろんクーデターと言われても、意味がわかるはずもありません。なんとなく「また、ゲバ棒持った大学生が暴れているのかな」程度の理解というか誤解でした。そんなことよりも、日が落ちるのが早くなり遊ぶ時間が短くなったので、少しでも早く遊びにいくことの方が気がかりでした。

 それで、その日、寄り道して帰ったかどうかは思い出せませんが、家に帰ると母が晩ご飯の支度もそっちのけで、家に引いたばかりの電話で、あちこち電話をかけていました。

 あとで、母に聞いたところ、当日は父が東京に出張中で、しかもたまたま市ヶ谷にあるビルにいるということで、心配になって東京に連絡をとろうとしていたようです。けっきょく、夕方になっても電話は通じなかったようです。わたしはといえば、ニュースから聞こえる「カップクジサツ」という意味がわからなくて、いちいち母に質問して、うるさがられていたのが印象に残っています。

 数日後、出張から帰ってきた父によると、「その日は、とにかくヘリコプターが何機もビルのすぐ上を飛んでいて、うるさくて仕事にならんかった。」とのこと。私はそんなことより、東京出張のお土産にもらった「鉱物標本セット」に心が奪われていて、そんな話にも関心ありませんでした。さらに、大人になってから父に聞いた話では、最初「市ヶ谷」、「自衛隊」、「クーデター」など、ことばの断片だけの情報で、何が起きたか分からず、まわりの人たちは、しばらく「自衛隊がクーデターを起こした!!」というふうに捉えていたんだそうです。(そういえば、うちの父は1932年5月15日、、、五・一五事件の日が誕生日でした。クーデター騒ぎに縁があるのは、そのせいでしょうか ^ ^)

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 この事件に関連した話が、もうひとつ。三島由紀夫の介錯は、三島とともに総監室に立てこもった楯の会メンバーの森田必勝が二太刀入れていますが果たせず、最後の一太刀を別のメンバーが行っています。「このとどめの一太刀で、三島の首を切り落とした男は、君たちの先輩なんだよ」と高校の物理の先生が話していました。この話を聞いたのは、ちょうど「豊饒の海」の第一部「春の雪」が文庫版で出た直後でした。このころは人生最初の濫読期で、三島の小説もかなり読んではいましたが、一般教養程度のお付き合いで、特別な存在にはならないまま死後半世紀です。ただいま、人生最後(?)の濫読期ですので、この際、三島作品、再読してみようかな、、、

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でも、書棚を見たら持っている三島の本は、すべて文庫本でした。これでは、、、目がツラすぎますね ( ^ ^ 

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awanohibi
Posted by awanohibi
アラ還白髪男子の身辺雑記たまに妄想&毒想