共犯者の愛‥‥愛の三部作

2021年09月11日
書棚の整理
漱石の三部作「三四郎」、「それから」に続く「門」について、「三四郎」、「それから」は、ブログのネタにしているのに最後の「門」だけスルーしてしまうのは「収まりが悪い」ということで、無理やり書きのこしておこうと思います。かなり長くなりそうなので、どうしよう、、
前作の「それから」は、インテリで自由人の主人公が、物語の最後に親友の妻を略奪して「不倫の道」を選択して終わる小説です、と乱暴にまとめるなら、「門」は、ほんとうの「それから」を描いたものです。
明治43年の新聞紙上で展開される「不倫略奪愛とその後の二人」みたいなテーマが、当時の世間でどんなふうに注目されたのかについては、ちょっと想像できませんが、というところで、もう300字になってしまいました。
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この三部作は、男と女の愛情、それも知性の人の情愛をテーマにしていますが、出発点は、「三四郎」の「花は必ず剪(きっ)て、瓶裏に眺むべきものである。(109頁)」(大意:美しい花は必ず自分の花瓶に挿して観賞すべきである)という「悟り」にあります。「それから」では、ついに親友の「花(妻)」を切ってしまいました。「門」では「花(妻)」の所有者だった親友の影に怯えながらも「花瓶」の周りでの充足と諦感の日々を描いています。
「不倫」なるコトバは、いつから流通しているのか分かりませんが、日本で夫婦がパートナー以外と関係を持つことへの社会的許容度は、現代に比べれば、この作品の時代はきっと相当に低かったのでしょう。
だからこそ、許されざる2人として、共犯者の2人として、主人公宗助と妻御米の結びつきは強まることになるのだろうと想像します。でも、その結びつきの強さは、美しいというより不気味、さらにいうと「怖さ」さえ感じるものがあります。
むりやり苦し紛れに想像すると、男と女の共犯関係というのは、確かに魅惑的な関係かなあ、、と思います。。。?(ここから先は長くなりそうなので追記にします)

夏目漱石全集 第8巻 門  昭和22年5月5日 発行 岩波書店

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東京で官吏をする主人公宗助と妻 御米は借家ぐらしをしています。主人公はもともとは実業家を父にもち資産もあって、生活に困るものではなかったのですが、京大生の時に親友の妻を奪ったことから、大学を追われ実家からも離縁され、ひっそりと「日陰の人生」を送っています。しかし、(あるいは、それだからこそ)主人公宗助と御米は「純粋な愛」、「深い愛」を具現しています。

宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかった。一所になってから今日まで六年程の長い月日を、まだ半日も気不味く暮した事はなかった。いさかいに顔を赤らめ合ったためしはなおなかった。二人は呉服屋の反物を買って着た。米屋から米を取って食った。けれどもその他には一般の社会に待つ所の極めて少ない人間であった。彼等は、日常の必要品を供給する以上の意味に於て、社会の存在をほとんど認めていなかった。彼等に取って絶対に必要なものはおたがいだけで、そのおたがいだけが、彼等にはまた充分であった。彼等は山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた。186頁
(※引用部分の表記は、原文の漢字の一部を「かな」にあらためています。以下も同様です)

略奪愛のゆえなのか、作者がその場限りのアヤマチでないことを強調したいがためなのか、閉じて完結した愛の世界です。社会から孤立しているといえば、厳しい生活を思うものですが、「必要なものはおたがいだけ」という充足ぶりは、なかなか理解できません。ほんとうに、こんな「蜜月の年月」が可能なのだろうか。

ところで、「門」というタイトルは、漱石のつけたものではなく、弟子の小宮豊隆が決めたものだということがわかっています。連載開始直前になっても漱石から表題を告げられず困った新聞社から再三の問い合わせがあり、漱石は弟子の森田草平に「適当に決めて新聞社に伝えるよう」言い、困りはてた森田が小宮に相談。そこでたまたま小宮の机にあったニーチェのツアラトゥストラを適当に開いたところ「門」という字が目に入り、これに決定したという逸話です。これは、小宮豊隆が全集の「あとがき」に書いていたことです。
この「あとがき」を読むまでは、次の一節が表題に結ぶつくのかと私は考えていました。ここも冴えた叙述で好きなので長くなりますが、以下に紹介いたします。
親友の安井が、妻の御米と宗助を新居の玄関前に残して、その場を離れました。そのわずか数分の間に2人が言葉を交わしたことを回想しながら、その後の2人の運命をに例えながら印象的に表現しています。

安井は門口へ錠を卸して、鍵を裏の家へ預けるとか云って、かけて行った。宗助と御米は待っている間、二言、三言、尋常な口をきいた。宗助はこの三四分間に取り換わした互の言葉を、いまだに覚えていた。それはただの男がただの女に対して人間たる親みを表わすために、遣り取りする簡略な言葉に過ぎなかった。形容すれば水の様に浅く淡いものであった。彼は今日まで路傍道上に於て、何かの折に触れて、知らない人を相手に、これ程の挨拶をどの位繰り返して来たか分らなかった。
 宗助は極めて短かいその時の談話を、一々思い浮かべるたびに、その一々が、殆んど無着色と云っていい程に、平淡であった事を認めた。そうして、かく透明な声が、二人の未来を、どうしてああに塗り付けたかを不思議に思った。今ではい色が日を経て昔の鮮かさを失っていた。互を焚き焦がした焰は、自然と変色してくなっていた。二人の生活はかようにして暗い中に沈んでいた。宗助は過去を振り向いて、事の成行を逆に眺め返しては、この淡泊な挨拶が、いかに自分等の歴史を濃く彩ったかを、胸の中であくまで味わいつつ、平凡な出来事を重大に変化させる運命の力を恐ろしがった。
 宗助は二人で門の前に佇んでいる時、彼等の影が折れ曲って、半分ばかり土塀に映ったのを記憶していた。御米の影が蝙蝠傘で遮ぎられて、頭の代りに不規則な傘の形が壁に落ちたのを記憶していた。204頁

色彩でたたみかけた前段のすごさは何度読みかえしてもみごとです。そして最終段落で、その記憶が「門の前に佇んでいる時」だったということで、私は「門」というのは、これのことかと思っていました。ただ、読み進むと「門」は、これ(だけ)ではないことがわかります。
表題「門」についての謎解きの本命は、物語の最終段階で突如現れます。それは、親友(御米の元夫)の影に怯える宗助が病を偽って役所を休み、鎌倉の禅寺にこもったものの、答えを見つけられず、寺を去る時の主人公宗助の述懐です。それが、以下の記述です。

彼自身は長く門外にたたずむべき運命をもって生まれてきたらしかった。それは是非もなかった。けれどもどうせ通れない門なら、わざわざそこまでたどり着くのが矛盾であった。彼は後ろを顧みた。そうして到底また元の路へ引き返す勇気をもたなかつた。彼は前を眺めた。前には堅固な扉がいつまでも展望を遮ぎつていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないですむ人でもなかつた。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。283頁

作品を書き始める時に作者がタイトルにこだわらなかったことで、逆にあとからタイトルに引きずられ、タイトルに縛られてストーリーが展開したということ(印象)も、この小説の特徴というか、正直にいうと欠点にもなっています。
さらにもう一ついえば、この作品「門」を「それから」の前提や脈絡抜きの単独作品として読み始めると、かなり難解な作品だろうと思います。
それにしても、明治の世の中で知性の人が愛に殉じるのは「危険な賭け」、あるいは、一般にいう「人生を捨てる覚悟」が必要なんだろうな、、、男と女のあれこれや機微については不得意ジャンルなので、深いことはわかりませんが、、最後まで自信のない感慨です。
awanohibi
Posted by awanohibi
アラ還白髪男子の身辺雑記たまに妄想&毒想