「秋」の「心」
連日1万人を超える新規感染者が出ていて、昨日は北海道での感染者累計も100万人を超えたそうです。などというショッキングな数字を見ても驚かなくなってきました。「慣れる」というのは「感度が鈍る」のと似たようなもので、じつは困ったことなんでしょうけど、、、
この季節になると北海道でもスーパーの店頭などで、柿を購入することができます。ワタシも買って食べています。でも、ふだんの生活空間で柿の「木」を見ることはありません。(ミカンも同様ですが、これは北海道だけでなく東北地方でも栽培できないはず、、)
さて、、そういう土地で暮らすワタシの家のすぐ近所に、柿の木(というか「実」)を「発見」したのが9月8日でした。それ以来、散歩途中で柿を鑑賞(観察?)する日々が続いておりました。
先週水曜日の柿の様子です。
すっかり色づき「柿色」になっていました。
ちなみに上の写真が9月「発見」した時の柿の実です。。ほぼ2ヶ月前です。
こちらの実はナニモノかが少しかじったようです。北海道にはサルはいないので、羽のあるヤツラの仕業でしょうか?

で、昨日、
柿の木を見ると、なんと、実がすべてなくなっていました。柿の木の主人が収穫してしまったようです。
ワタシは散歩の途中で柿を見上げていただけの通行人に過ぎませんから、柿の持ち主が自分の庭の柿の実を収穫することに対して怒る理由も、抗議する理由もありません、、分別のあるオトナならわかるはず。。
にもかかわらず、とつぜん柿が「奪われた」ような衝撃と喪失感(もちろん「奪われた」なんていう「事実」は存在しません)にとらわれ、落ち込んでしまうのは、なぜでしょうか?
理由もなく、説明もつかない憂愁、倦怠、失望、現実逃避、楽園追放、
これはオトコの更年期?はたまた、不定愁訴の症状??
そういえば「愁」の字は「秋」の「心」か、などとむりやり納得しようか、、
書けば整理ができるかと思ったら、なかなかそうはいかないですね。