「核時代の想像力」をめぐる、、、

2023年05月28日
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書棚の整理
1977年に大江健三郎の講演会が札幌でありました。
友人に誘われて、、というか「行くぞ、もう申し込んである。」といわれ強引に連れて行かれることになりました。たまたま「万延元年のフットボール」をこの友人から借りて読んでいたこともあり引っ込みがつかなくなったようなものです。
で、その友人が講演会の「予習」用として、さらに貸してくれたのが「核時代の想像力」でした。
先日、大江健三郎の訃報を機に、この本のことを思い出しネットで検索すると、、、いまも売っていました。ノーベル賞作家とはいえ、1970年に出版された「新潮選書」が半世紀以上も絶版とならずに版を重ねていたとは驚きました。
で、(もちろん、、)買いました。
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この本は、大江健三郎が1968年1月から12月まで新宿紀伊國屋ホールで11回連続で行った講演会の講演録です。目次、というか各講演のテーマは以下のようになっています。
* プロローグのための短い小説=沈黙の講演者
1  戦後において確認される明治
2  文学とはなにか?(1)
3  アメリカ論
4  核時代への想像力
5  文学外とのコミュニケイション
6  文学とはなにか?(2)
7  ヒロシマ、アメリカ、ヨーロッパ
8  犯罪者の想像力
9  行動者の想像力
10 想像力の死とその再生
11 想像力の世界とはなにか?
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(「核時代の想像力」扉写真 撮影者不明(記載なし))
紀伊國屋ホールでの講演当時は33歳だった大江健三郎が聴衆に送ったメッセージを「強引&乱暴」に要約すると、
「米ソによる「核戦争」の準備が完了した現在(1968年)の世界で、個人が「主体性」を持ちながら生きるためには「想像力の再生」、内実を備えた「言葉の復権」が必要だと考えます。」ということでしょうか。

46年前に友人から借りたときには授業時間も含め、ひたすら読み通しました。「講演」で参照、引用されるドストエフスキー、魯迅、サルトル、ビュトール、ロブ・グリエ、ケルアック、ギンズバーグ、谷川俊太郎など固有名詞のほとんどが当時は未知の存在で「世界は知らないことだらけだ」と痛感し戸惑いました。
46年後に読むと、そのあたりの「!」や「?」はなくなりましたが、見方によれば「刺激」を感受する愉しみ、人間としての感度も鮮度も失われてしまったということでもあります。
札幌市民会館での講演の時には大江健三郎は42歳です。おそらく「同時代ゲーム」執筆のころにあたります。
このときの大江健三郎についての印象は、
「写真よりもかなり太っているなあ」
「けっこうな早口だなあ」
「まるで書き言葉のように話す人だなあ」(これは「核時代の想像力」にも共通する印象でもあります。)
ところで、上記のような「印象」は残っているのですが、札幌での講演のテーマや内容は、、実はおぼえていません。ワタシ的には1977年から1980年の「同時代ゲーム」までが「大江健三郎の季節」でしたが、そのなかでも「講演会」と「核時代の想像力」のセットは「思い出」です。
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(「核時代の想像力」カバー裏表紙の裏面の著者プロフィール)
奥付けを見ると、「核時代の想像力」が出版されたのは1970年7月ですが、「限りなく終わりに近い道半ばのエピローグ」3ページが追加されて2007年5月25日に改訂発行されたものでした。

「限りなく終わりに近い道半ばのエピローグ」
(略)
そして何よりも講演の全体をつらぬく主題であった、核状況は、いかなる好転の兆しもありません。老人のぼくが深夜に目ざめるたび考えることは、この国の、そして全世界の原子力発電所に、いまや永年の時のもたらした事故の因子が積み重なり続けて、それこそ臨界を超えつつあるのではないか、ということです。さらにソヴィエト崩壊後、世界に散らばっている小型の核兵器を実際に使用するテロリストたちが現われようとしているのではないか、ということです。これらの状況を人類が(つまりぼくらのひとりひとりが) 光の見える方向に向けて乗り越える、その確実な一歩を踏み出す前に、ぼくは死ぬことになるだろうと思います。(327ページ)
(略)
2007年4月16日)

「深夜に目ざめるたび考えること」のうち、前段部分は2011年3月に「臨界」を超える事象が日本においてもシビアな「現実」となりましたが、中段の「小型核兵器によるテロ」は幸いなことに、いまのところ現実となってはいません。
そして後段の「光の見える方向に向けて乗り越える」以下は、著者の記述の通りとなってしまいました。

核時代の想像力  大江健三郎 新潮社 新潮選書
1970年7月30日 初版発刊 
2007年5月25日 エピローグを追加して改訂版発刊 

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awanohibi
Posted by awanohibi
アラ還白髪男子の身辺雑記たまに妄想&毒想

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